四国の役
2024年07月31日
本日13時に城メグの「四国の役」が終了しました。
今回も軍功差と人数差をグラフにしてみました。
うーん、今回は解析するポイントがありませんね。人数差は800人ほどあったものの、軍功はほぼ均衡していて、わずかな差で長宗我部軍の勝利という感じです。
ちなみに開戦当初は、長宗我部軍のほうが1200人ほど多かったのですが、その後すぐに羽柴軍が増えて約800人差となっています。
軍功も当初は長宗我部軍のほうが高かったのですが、下図のように羽柴軍が増えるにつれて軍功差も縮まり、その後の双方総攻撃で羽柴軍が優勢となっています。しかし、総攻撃翌日には長宗我部軍が巻き返し、ほぼ差が無い状態に...。
結局、総攻撃がなければ、ほぼ軍力は一緒だったということでしょうか。。。
今回も軍功差と人数差をグラフにしてみました。
うーん、今回は解析するポイントがありませんね。人数差は800人ほどあったものの、軍功はほぼ均衡していて、わずかな差で長宗我部軍の勝利という感じです。
ちなみに開戦当初は、長宗我部軍のほうが1200人ほど多かったのですが、その後すぐに羽柴軍が増えて約800人差となっています。
軍功も当初は長宗我部軍のほうが高かったのですが、下図のように羽柴軍が増えるにつれて軍功差も縮まり、その後の双方総攻撃で羽柴軍が優勢となっています。しかし、総攻撃翌日には長宗我部軍が巻き返し、ほぼ差が無い状態に...。
結局、総攻撃がなければ、ほぼ軍力は一緒だったということでしょうか。。。
PR
長篠の戦い
2024年03月25日
沼尻の合戦
2023年10月11日
沼尻の合戦が終了しましたね。
今回も人数と軍功の変化をランダムに記録してみました。
まずは人数ですが、大きな変化はない感じですね。

次に、軍功です。
佐竹軍の総攻撃で大きく差が開いたものの、翌日の北条軍の総攻撃によって僅差で逆転という感じです。残念ながら、北条軍の総攻撃が始まってすぐにステルスに突入したので、肝心な部分の変化はよくわかりません。

わかりやすくするため、軍功差でプロットしたのが次のグラフです。

前半は北条軍がずっと優勢です(佐竹軍の軍功-北条軍の軍功で示しているので値がずっとマイナスです)。
細かく見ると(データの間隔が一定でないのでわかりにくいですが)、深夜に佐竹軍が少し押し返している感じです。
その後、佐竹軍の総攻撃でかなり急峻に軍功差が開きます。
北条軍の総攻撃は佐竹軍ほど急峻な変化ではないのですが、追い上げは最後まで続き、逆転勝利という運びですね(ステルスなんで実際の変化はわかりませんが)。
ステルス後の軍功変化、今回こそ運営ブログで発表してくれると嬉しいのですが。。。
(まぁ、出ないよね。^^;)
今回も人数と軍功の変化をランダムに記録してみました。
まずは人数ですが、大きな変化はない感じですね。
次に、軍功です。
佐竹軍の総攻撃で大きく差が開いたものの、翌日の北条軍の総攻撃によって僅差で逆転という感じです。残念ながら、北条軍の総攻撃が始まってすぐにステルスに突入したので、肝心な部分の変化はよくわかりません。
わかりやすくするため、軍功差でプロットしたのが次のグラフです。
前半は北条軍がずっと優勢です(佐竹軍の軍功-北条軍の軍功で示しているので値がずっとマイナスです)。
細かく見ると(データの間隔が一定でないのでわかりにくいですが)、深夜に佐竹軍が少し押し返している感じです。
その後、佐竹軍の総攻撃でかなり急峻に軍功差が開きます。
北条軍の総攻撃は佐竹軍ほど急峻な変化ではないのですが、追い上げは最後まで続き、逆転勝利という運びですね(ステルスなんで実際の変化はわかりませんが)。
ステルス後の軍功変化、今回こそ運営ブログで発表してくれると嬉しいのですが。。。
(まぁ、出ないよね。^^;)
長久手の戦い
2023年08月23日
合戦が終了しました。
今回も参加人数と軍功の履歴をスクショしていたのですが、前回のように定時確認はできず、かなりランダムなデータ採取となりました。
でも、傾向は把握できているように思います。
まず、参加人数の変化は次のとおり。8/20 前半に徳川・織田軍の人数増加がなまりますが、その後再び人数差が少し開いています。
次に軍功。
わかりやすいように、差分でグラフ化すると次のとおり。

開戦時のステルス開けは徳川・織田軍が優勢だったのに対し、8/19にすぐ羽柴軍の総攻撃が始まり、羽柴軍が優勢に。翌日は大手柄温存効果のためか、しばらくは羽柴軍が優勢ですが、次第に徳川・織田軍が盛り返してきます。
続く8/21は徳川・織田軍の総攻撃で、一気に逆転。
翌8/22は羽柴軍の二度目の総攻撃ですが、残念ながらステルスに入ってしまい、戦況が不明に。(8/21の21時に確認したあと、ステルス前にもう一度確認したかったのですが、できませんでした。-.-;)
ちなみに点線で示したのは8/22時点での私個人の予想です。8/22は羽柴軍の総攻撃ですが、徳川・織田軍の大手柄温存効果もあるので、1回目の総攻撃よりは緩やかに盛り返すと予想した線です。しかし、結果を見ると、1回目とあまり変わらないくらいの反撃だったようですね。
実際の戦況変化を今年こそ運営さんが公開してくれるといいのですが。。。
今回も参加人数と軍功の履歴をスクショしていたのですが、前回のように定時確認はできず、かなりランダムなデータ採取となりました。
でも、傾向は把握できているように思います。
まず、参加人数の変化は次のとおり。8/20 前半に徳川・織田軍の人数増加がなまりますが、その後再び人数差が少し開いています。
次に軍功。
わかりやすいように、差分でグラフ化すると次のとおり。
開戦時のステルス開けは徳川・織田軍が優勢だったのに対し、8/19にすぐ羽柴軍の総攻撃が始まり、羽柴軍が優勢に。翌日は大手柄温存効果のためか、しばらくは羽柴軍が優勢ですが、次第に徳川・織田軍が盛り返してきます。
続く8/21は徳川・織田軍の総攻撃で、一気に逆転。
翌8/22は羽柴軍の二度目の総攻撃ですが、残念ながらステルスに入ってしまい、戦況が不明に。(8/21の21時に確認したあと、ステルス前にもう一度確認したかったのですが、できませんでした。-.-;)
ちなみに点線で示したのは8/22時点での私個人の予想です。8/22は羽柴軍の総攻撃ですが、徳川・織田軍の大手柄温存効果もあるので、1回目の総攻撃よりは緩やかに盛り返すと予想した線です。しかし、結果を見ると、1回目とあまり変わらないくらいの反撃だったようですね。
実際の戦況変化を今年こそ運営さんが公開してくれるといいのですが。。。
沖田畷の戦い
2023年03月24日
合戦が終了しましたね。
今回は合戦中、10時、16時、22時に各軍の人数と軍功をスクショでメモっておきました。
(ほんとは4時にも取れたら6時間置きでいいのだけれど、無理はやめました)
人数の推移はつぎのとおり。

軍功の推移はつぎのとおり。

といっても、これでは差がわかりにくいので、軍功差でグラフ化しました。

3/18の総攻撃までは龍造寺軍の圧勝。
総攻撃後、なぜか島津・有馬軍が反撃を強めますが、3/20の大手柄追加で一進一退の状態に。
その後、再び島津・有馬軍が反撃を強めます。
3/23の6時半頃からステルスに入ってしまったので、最後の総攻撃以降の様子はわかりません。 ステルス直前にはわずかながら逆転していたときもあるようですが、
総攻撃で再び龍造寺軍がリードを広げ、その後、島津・有馬軍が反撃したのか、
それとも、一進一退の状態からじわじわと龍造寺軍が巻き返したのか、
そのあたりのことは運営ブログを待つこととします。^o^
今回は合戦中、10時、16時、22時に各軍の人数と軍功をスクショでメモっておきました。
(ほんとは4時にも取れたら6時間置きでいいのだけれど、無理はやめました)
人数の推移はつぎのとおり。
軍功の推移はつぎのとおり。
といっても、これでは差がわかりにくいので、軍功差でグラフ化しました。
3/18の総攻撃までは龍造寺軍の圧勝。
総攻撃後、なぜか島津・有馬軍が反撃を強めますが、3/20の大手柄追加で一進一退の状態に。
その後、再び島津・有馬軍が反撃を強めます。
3/23の6時半頃からステルスに入ってしまったので、最後の総攻撃以降の様子はわかりません。 ステルス直前にはわずかながら逆転していたときもあるようですが、
総攻撃で再び龍造寺軍がリードを広げ、その後、島津・有馬軍が反撃したのか、
それとも、一進一退の状態からじわじわと龍造寺軍が巻き返したのか、
そのあたりのことは運営ブログを待つこととします。^o^
| HOME |